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東京高等裁判所 昭和53年(う)907号 判決 1979年2月14日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

<前略>

所論は、要するに、原判決は、起訴状謄本不送達による公訴棄却の裁判が確定した被告人に対し、刑訴法二五四条一項を適用して公訴時効の停止を肯認し有罪判決を言い渡したが、起訴状謄本不送達による公訴棄却の場合には同条同項の適用はなく、同法二七一条二項に基づき公訴提起の効果としての時効停止はさかのぼつてその効力を失うと解すべきであり、原審は被告人に対し公訴時効の完成による免訴の言渡をすべきであつたし、また、少くとも、本件の如く何ら逃げ隠れしていない被告人に対して捜査不行届により起訴状謄本が送達されず公訴棄却の裁判がなされた場合に、同法二五四条一項を適用して時効の停止を認めた原判決は、起訴されていることを全く知らない被告人に一方的に捜査不行届による不利益をこうむらせることになり、憲法三一条の法定手続の保障を侵害するものであり、原判決には、このように訴訟手続に法令違反があつて、その違反は判決に影響を及ぼすこと明らかである、というのである。

一件記録によれば、本件公訴は、犯行日とされている昭和四五年四月一一日から五年の時効期間を経過した後の昭和五二年一一月三〇日提起されたものであるが、これより以前被告人は本件と同一事件で昭和四五年五月一九日東京地方裁判所に起訴され、昭和五二年九月八日、公訴提起後二ケ月以内に被告人に対する有効な起訴状謄本の送達がなかつたとして同法二七一条二項、三三九条一項一号により公訴棄却の決定がなされた(同年同月一三日確定)ことが明らかである(なお、原審及び当審で取り調べた関係資料によれば、本件において、公訴提起後二ケ月以内に起訴状の謄本が送達されなかつた事情及び公訴棄却決定が異常に遅れてなされた理由は、次のとおりと認められる。公訴棄却をした裁判所は、昭和四五年五月二一日起訴状謄本を起訴状記載の被告人の住所地に発送したところ、転居先不明の理由で不送達となつたが、同年六月一〇日再度同所に発送したところ、同月一三日付被告人に直接送達された体裁の郵便送達報告書が返つて来たので、起訴状謄本は有効に送達されたものとして、同年九月三〇日に第一回公判期日を指定したところ((同公判期日への召喚状の送達についても同年七月三〇日付の右同様の送達報告書が返つて来た))、同公判期日に被告人は出頭せず、次いで、同年一一月一八日の公判期日への召喚状は転居先不明の理由で不送達となり、その後被告人の所在不明のため、検察庁に所在捜査を依頼し、爾来被告人の住所を捜査してもらつていたところ、昭和五二年六月一三日に至つて被告人が肩書住所地に居住していることが判明した旨の通知を受けたので、改めて公判期日を開いたところ、被告人から公訴提起後二ケ月以内に起訴状謄本の送達を受けていない旨申立がなされ、事実を取り調べたところ申立どおりと認められたので、前記のとおり公訴棄却の決定をしたこと、被告人は、昭和四五年四月一一日本件により現行犯逮捕され、実際には父の建設業の手伝いで川口市内の飯場住いであつたが、家族が居住し連絡のあつた実家の横浜市旭区所在の父母の住所地を自らの住所として申告し、母の身柄引受により釈放されたものであるが、同年四月二二日ころから同市南区に転居し、起訴状記載の右実家には居住しておらず、前記起訴状謄本は父、母又は弟によつて受領されたものと考えられるが、右転居後被告人と家族との間が疎遠になつたため、被告人が起訴状謄本を受領し、又はその内容を知り得たとは認められなかつたこと、被告人は、その後、同年六月二七日出国し、同年一一月七日帰国したほかは、前記転居先に居住し、その後、昭和五二年三月二〇日ころ同市港北区の肩書現住居へ転居したが、いづれもその旨住民登録を済ませていたものであり、検察庁は、この間所在捜査を続けながら、捜査が行き届かず、昭和四九年一〇月二日受付の本籍地照会により被告人の当時の住民票上の住所を確知し得たのに依然として親許についてのみ所在捜査をする等の不手際があつたため、被告人の住居を発見することができなかつたこと、以上の事実が認められる。)

それ故、所論の解釈に従えば、本件は公訴時効完成を理由に免訴の判決をすべきことになり、学説としてもこれに左袒するものもあるが、所論のような解釈の採用し難いことは原判決の説示するとおりである。詳説すれば次のとおりである。

昭和二八年法律一七二号による刑訴法の一部改正前には、同法二五四条一項は、「公訴の時効は、当該事件についてした公訴の提起によつてその進行を停止し、管轄違又は公訴棄却の裁判が確定した時からその進行を始める。但し、第二七一条第二項の規定により公訴の提起がその効力を失つたときは、この限りでない。」と規定されていたため、公訴の提起があつた日から二ケ月以内に起訴状の謄本が送達されないときは同法二七一条二項によりそのまま公訴の提起は効力を失つて何らの裁判を要せず裁判所の係属を離れ、時効停止の効力も失われるとされていた。しかし、果して起訴状の謄本が期間内に送達されなかつたかどうかについて疑が生ずる場合があるので、この点に関する裁判所の見解を公訴棄却の決定によつて明らかにするため昭和二八年法律一七二号による刑訴法の一部改正により同法三三九条一項一号を追加し、それに伴ない、公訴時効については同法二五四条一項の原則に戻ることにし、但書を削除したのである。右のような改正(殊に但書の削除)の経緯からみて、起訴状謄本不送達による公訴棄却決定の場合にも時効停止の効力を認めるよう解釈されるべきことは明らかである。このように解釈した場合、同法二七一条二項の規定による公訴の提起がさかのぼつてその効力を失うことの効果が意味を失うきらいのあることは所論のとおりであるが、そうだからといつて、右改正の経緯を無視して所論のような解釈をとるべきであるとはいえない。また、所論は、立法当局者の説明を掲げて、前記但書削除の立法過程においては、本件事案の如く何ら逃げ隠れしていない被告人が、起訴されたことを全く知らない間に時効停止の不利益を受けるという不当な事態は予測されていなかつたというが、所論指摘の、「実際問題として起訴状の謄本の送達ができないという場合は、……逃亡しておるような場合、ほかにちよつと考えられないくらいでございまして、それは二百五十五条によつて実際問題としては差違はないということになる」という説明(第一六回国会参議院法務委員会における政府側説明員の答弁)があるからといつて、必ずしも、所論のように前記のような事態が立法当時予想されていなかつた前記改正法の規制外の事実であつたということもできない。

さらに附言すると、国家が公訴の提起により被告人に対する処罰請求の意思を表示した場合、その行為にどのような効果を附するかは、立法政策の問題にほかならない。もともと、公訴時効の停止は適法な公訴の提起を前提とするわけではなく、起訴状謄本不送達の場合を、管轄違その他一般の公訴提起不適法の場合と同様に扱つて公訴時効の停止を認めた改正法の立場も、もとより可能な一つの立法であり、起訴状謄本不送達の場合にも受訴裁判所として応答義務を課せられている改正法のもとで、同法三三九条一項一号の裁判確定まで公訴時効の進行の停止を認めても著しく不合理であるとはいえない。そして、起訴状謄本不送達の場合に公訴時効の停止を肯認することが、何ら逃げ隠れしていない被告人が起訴されたことを全く知らない間に時効停止の不利益を受けることになる点は、まことに所論指摘のとおりであるが、右不利益は未だ憲法三一条の法定手続の保障に反する程に不適正であると考えられない。

原判決の訴訟手続には所論のような法令違反はなく、論旨は理由がない。

<以下、省略>

(谷口正孝 金子仙太郎 下村幸雄)

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